お酒のない人生(禁酒日記)

35歳サラリーマンの禁酒記録

禁酒34日目『飲酒運転⑥事情聴取』

体重 61.1

お金 160,595円(0円)

目標達成まで 57日

目標達成のご褒美 ???

 

パトカーに乗っているとき、いろいろな事を考えた。家族のこと、会社のこと。

離婚と言われても仕方ない。クビと言われても仕方ない。

落ち込むというレベルではなかった。憔悴状態という感じだった。

確か事故が朝5時、捕まったのが6時、事情聴取が終わったのが午後4時頃だったと思う。

パトカーが駐在所に着き、事情聴取が始まった。

始まるとき、スマホを没収され、嘘をつきませんという趣旨の誓約書を書いた。

てっきり、昨日から今日にかけての事を聞かれると思ったら、何と出生地から聞かれ、子どもの頃の家族構成や(11歳で父と死別した事も伝えた)通った学校、会社のこと、などなど事件と直接的に関係のない事を沢山聞かれた。

おそらく、私を裁くときの参考にする、と言う事だろう。

もちろん、昨夜からの飲酒状況も細かく聞かれた。何時に、どこの店で、誰と、何の酒を、どれだけ飲んだのか。2次会は?3次会は?

単純な行動の記録だけではなく、その時の私の考えや感じた事も細かく聞かれた。

私は、これ以上の罪を犯すまいと、事情聴取にはなるべく正確に、正直に答えようと決めていたが、あまりにも細かく聞かれたので、答えきれない事もあった。そして、とても疲れた。あそこまで多くの質問に、全神経を集中して答えたのは、おそらく初めてだった。また、二日酔いの症状も出てきて、くたくただった。

昼ごろ、休憩となり、警察に近くの定食屋を紹介された。私は言われるまま定食屋まで行ったが、とても食事するという気分ではなかったので、少しフラフラして、また駐在所へ戻ってきた。

午後も引き続き事情聴取が行われ、最後は警察が紙に書いた内容を読み上げた。たぶん事情調書?というものだ。調書には、私の出生地、子どもの頃の家族構成、学校、会社などなど、さまざまな事が書かれていた。確かA4用紙10枚くらいだった。

全て聞き終わり、少し修正してもらい、全てのページに母印を押した。どうでもいいが、母印を押すための朱肉が黒かったことを思い出した。普通は赤なので印象に残っている。

 

駐在所から出るためには、家族に迎えに来てもらう必要があった。そのため、妻と妻の両親に、事情聴取が終わるまで近くで待っていてもらった。

本当は、10時に待合せ、妻と子供を引き取り、昼ごろには自宅に戻っているはずだった。

 

家族が駐在所に到着し、嫁が迎えにきた。

嫁に謝り、両親の車まで行き、両親に会った。

私は『すみません』としか言えず、その場に崩れ込んでしまった。

 

だきか抱えられながら車に乗り、両親から一言二言言われた。お義父さんは『家族を心配させるような事はダメだ』義母は『バカ、パンチだ』と言うようなことだった。私はただただ下を向きながらぼーっとしていた。憔悴しきっていた。何もかも灰色に見えていた。11歳で父と死別した時も、もの凄い精神状態になった。その時とはまた性質が違うが、この時ももの凄い精神状態だった。何と言うのだろう、簡単に言うと『死にたい』という感じだった。

生まれて初めて死にたいと思った。もちろん発作的なもので、すぐに、『いや、逃げたらダメだ』となったが、それほど自分を追い詰めると、逃げたい、死にたいと感じるものなのだ。

 

お義父さんに最寄駅まで送ってもらい、妻と子どもと一緒に電車で帰宅した。

 

明日へ続く。